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  • Kana Izumi

お尻

更新日:2023年2月11日

「今日も、いい湯だった」。函館市内のお気に入りの温泉を順繰りに週数回、つかりに行く。


 だれかが湯船に足を伸ばす。先に入っていた私は湯の波紋を鼻先で受け止め、湯のうねりを尻で感受する。勢いのある波紋、親子の無邪気な波紋、自分のバタ足の波紋。湯気の向こうに、このまちに住む多様な姿が立ち上る。


 尻青い赤ちゃんから人生の大尾を謳歌する方まで、一つ湯の中。社会的地位や学歴、金持ちか否か、生産性や効率性からも放たれる。露天風呂ではご婦人たちが、おいしかった食べ物について函館弁で語り合い、流し場では「背中、流したげる」とむつみ合う。脱衣所で静かに笑み交わす光景もほほ笑ましい。


 江戸風俗研究の第一人者で46歳で逝去した杉浦日向子さんの名言を集めた書籍「憩う言葉」の一節をこの10年来、いつも思う。「自分のハダカを疎ましく想うのは、自宅の小さいお風呂に、ひとりで浸かって、腹をつまんだり、鏡と睨めっこするからだ。銭湯行きなさい、銭湯。(中略)みんなでこぼこで、おもしろい」


 何かを狭量に物差しで計りそうになるとき、銭湯に行く。世にはさまざまな尻があり、自分の尻もその中の一つであることに心底なごむ。社会を考えるときに昨今使われるインクルージョンという言葉には、「元々違うものが初めから混ざり合っている状態」という意味がある。湯に染み出た種々雑多な人間のだし全体がいい湯を醸し、滋味深い時をつくるのだ。


泉 花奈(まちの編集者・函館)

2020/12/17 北海道新聞朝刊 コラム「朝の食卓」より一部編集




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